シリーズ偉人たち

その偉業は婦唱夫随の化学反応から

マリ・キュリー/ピエール・キュリー  1867~1934/1859~1906

失恋しなかったらパリへ行かなかった

歴史で「もしも…」という仮定は意味がありません。しかし、「放射能」と「放射性元素」という概念を発案し、ポロニウムとラジウムを発見し、女性初・史上初の2度のノーベル賞(物理学・化学)受賞という偉業とともにキュリー夫妻の生涯を振り返ると、「もし、あの時…がなかったら…」と考えずにいられません。
ワルシャワの教育者の家に生まれたマリは、幼い時から勉学好きでしたが、国を離れるつもりはありませんでした。しかし、24歳の時に失恋の痛手を機に、姉夫婦の誘いを受けてパリ大学に留学。卒業後、磁気の研究場所を探していた時に知り合ったのが、後に伴侶となる気鋭の科学者ピエールでした。彼は生涯にわたり、献身的な夫であり共同研究者であり続けます。

博士号を目指した研究が歴史的な発見に

二人が放射線の研究を始めた動機は、マリの博士号取得にあり、その過程で多くの歴史的発見がありました。しかし、数トンの鉱石くずから微量のラジウムを精製する作業は過酷で、ピエールは自らの研究を中断してマリに協力します。この間、彼はリウマチの発作に襲われ、マリも睡眠障害や流産に見舞われますが、1903年に論文が完成。アンリ・ベクレルの後押しを受けてマリは博士号を取得し、同年に3人揃ってノーベル物理学賞を受賞します。ところが、その3年後、雨の中を横断中にピエールが荷馬車に轢かれて事故死してしまいます。片翼をもがれたような喪失感の中で、マリはラジウムや放射能の研究を続け、1911年に2度目のノーベル賞に輝いたのです。

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